アルムナイインタビュー
子育て・介護を経て、60歳目前で再び現場へ
ーブランクがあっても、また戻れる場所ー

近江草津徳洲会病院 看護師 前芝様へのインタビュー

看護師免許を取得後、京都府内のケアミックス病院・滋賀県内の総合病院で長年勤務。病棟で長く経験を積み、2000年から外来・内視鏡に従事。2003年に内視鏡技師免許を取得し、新しい環境を求めて近江草津徳洲会病院に就職。子育てとの両立から一度は退職し、その後は重症心身障害児者施設で約16年勤務。家族の介護との両立のため離職後、2024年7月に非常勤として近江草津徳洲会病院に再就職。

看護師としてのキャリアを積み重ね、子育てや介護を経て、60歳目前で再び現場へ。
「もう一度ここで頑張ろう」と思えたきっかけには、あたたかい人とのつながりがありました。
60歳を目前に再就職した近江草津徳洲会病院の職場の雰囲気や、復職後に感じた看護のやりがいについて伺いました。

「やめようと思っていたのに、気づけば看護師に」─人生の流れに導かれて

最初から「看護師になりたい」と強く思っていたわけではありませんでした。結婚して、まだ子どもが小さい頃に就職を考えると、保育園が必要でした。近くに院内保育園のある病院があり、まずは看護助手として入職したのがきっかけです。そこで人事の方に「看護学校を受けてみませんか?」と人事の方に勧められ、受けてみたら合格して。

途中で体調を崩して「もう無理かな」と思った時期もありましたが、教務部長に「働き方を見直せば続けられるよ」と背中を押してもらって。紹介していただいた病院に移ってからは、何とか続けられました。

「やめようと思っていたのに、気づけば看護師になっていた」というのが、私の看護師キャリアのスタートでした。

“わからない”が楽しかった─内視鏡の世界にのめり込んで

看護師免許を取得してからは、京都府内の病院で急性期からリハビリ期、精神科までさまざまな患者さんを担当しました。引っ越しを機に滋賀県内の総合病院に勤めました。病棟が中心でしたが、2000年に外来へ異動して、そこで初めて内視鏡の業務に携わりました。

人体を“粘膜側から見る”というこれまでにない視点の難しさに戸惑いながらも、検査時の介助や患者さんの観察、機器の取り扱いなど、一つひとつに繊細さが求められる仕事だと感じました。これまでの看護業務とはまったく違う知識が必要で、勉強すればするほど「分からない」が次々に出てきました。芋づる式に学びが広がっていく感覚がすごく楽しかったです。気づけば、もっと専門的に学びたいという気持ちが強くなり、内視鏡技師の免許取得にも挑戦していました。

学びを深めていく中で、「この経験を新しい環境でも活かしてみたい」と思っていた時期に、ちょうど近江草津徳洲会病院の開院が重なり、こちらでお世話になることになりました。

チームで挑む充実した日々現場で学んだ“誠実な看護”

入職後は内視鏡に従事し、先生方と何日も前から症例について話し合い、処置道具や薬剤の準備を整えて当日に臨む。そんな毎日が本当に充実していました。

検査中の患者さんとのやり取りから学ぶことも多かったです。印象に残っているのは、大腸内視鏡で明らかな腫瘍が見えたときのことです。

不安を感じた患者さんが、「私はがんですか?」と尋ねてきました。そのときカメラを操作していた先生が、笑顔で「それはわかりません」とはっきり伝え、続けて「わからないからこそ、今から組織を取って、確定診断をしましょう」と丁寧に説明されました。すると、患者さんは気持ちを落ち着かせておられました。

その対応を見て、曖昧にせず、事実をきちんと伝えることの大切さを強く感じました。
教科書には載っていない対応ですが、その現場での学びは、今でも私の中に深く残っています。

子どもを最優先に看護師と母、ふたつの顔の間での決断

近江草津徳洲会病院での仕事は楽しくて、本当にやりがいがありました。
でも、末の子が小学校に上がった頃から、処置が長引くと学童保育のお迎えに間に合わないことが増えてしまって…不安そうな表情で一人で待っている姿を見るたびに申し訳なくて、胸が痛みました。

「子どもが一人で家にいられるようになるまでは、“決まった時間に帰る”ことを最優先にしよう」とそう決めて、退職を選びました。

その後は、家から近くにあった重症心身障害児者の入所/通所施設に就職しました。残業は一切なく、時間通りに帰れる環境で、子育てとの両立という点では本当に助かりました。

言葉にならない想いをくみ取る─16年の現場で学んだこと

重心施設での勤務は、病院とはまったく違う現場で、最初は戸惑いました。

重症心身障害児者の方々は、言葉で訴えることが難しく、表情にも出にくい。「熱がある」「腫れている」といったサインはあっても、検査で原因がはっきりしないことが少なくありません。CTを撮ってもわからないケースもあり、所見やデータだけで主訴のない体調不良を見極めていくもどかしさを何度も味わいました。病院では当たり前に行う、複数の検査を積み重ね病態を絞り込み確定診断に近づいていくプロセスの大切さをあらためて実感する一方で、言葉にできない方が落ち着かれたときの穏やかな表情から、「やっぱりつらかったんだな」と気づかされることも多かったです。

また、検査時には静止状態を維持するために障害児者を抑制しなければいけない場面もありました。そんなとき、ふと「看護師として抑制以外に何かできるだろうか?」「『生命は平等だ』と理念を掲げておられた徳田虎雄先生なら、どうなさっただろうか?」と思うことがありました。

徳洲会の理念は、離れていても私の拠り所となっていたように思います。

60歳を目前に、再び看護の現場へ戻る勇気

重症心身障害児者施設で16年勤務しましたが、夫の癌の進行に伴って家庭介護と勤務の両立が困難になったことを理由に2023年に退職しました。その後は夜勤のない特養に転職しましたが、それでも介護と仕事の両立に疲弊してしまいました。そんな中で、「たまには自分の体のメンテナンスをしよう」と思い立ち、近江草津徳洲会病院で胃カメラの検査を受けることにしました。

担当してくださったのが永田副院長先生でした。検査のあと、久しぶりにお話しする中で、近況をお伝えしたところ、「当院でなら、非常勤で休みながら無理なく働けるんじゃないか?うちなら融通きくと思うよ」と声をかけてくださいました。それが復職のきっかけになりました。

もう60歳を目前にしていましたし、若い頃のような馬力や俊敏さはもうないと自覚していました。でもその場で窪田看護部長にもお会いする機会をいただき、面接のお約束をしていただいて。先生のあたたかい言葉と、病院の雰囲気に背中を押してもらい、「やってみよう」という気持ちが湧いてきました。そして、再び近江草津徳洲会病院で働かせていただくことになりました。

“早く”より“丁寧に”─復職後に見つけた看護の新しいかたち

復職してみると、採血器具や手順などが当時からずいぶん変わっていたり、昔はなかった同意書が増えていたり、最初は「やっていけるかな」と不安もありました。でも、周りの方々が温かく見守ってくださって、任せてもらいながら少しずつ慣れていきました。

今は高齢の患者さんが増えて、病気そのものだけでなく「日常を穏やかに過ごせているか」という視点がより大切になっていると感じます。先生方が治療経過を粘り強く追いかける姿を見て、「私も次のCT結果を気にしておこう」と自然に意識できるようになりました。

また、以前よりも焦らなくなりました。短時間でタスクを次々にこなすことだけが仕事ではないと感じています。患者さんが本当に求めているのは、間違いのない説明や納得感。早さを優先して「ちゃんとしてもらえなかった」と思われるより、丁寧に向き合うことのほうが満足につながると考えるようになりました。

徳洲会病院は「24時間いつでも診てもらえる」という安心感を患者さまに提供しており、その分、医師や看護師、コメディカルのみなさんのご苦労は本当に大きいと思います。そんな体制のほんの一隅を、もたつきながらも支えられるのだとしたら、それが今の私のやりがいです。

いくつになっても学びを楽しむ─世代をつなぐ看護師として

職場の雰囲気はすごく明るいです。若い世代の方たちはみんなフランクで、年上の私にも気さくに声をかけてくれます。
「その歳で、これ知らないんですか?」なんて言う人はひとりもいません(笑)。「久しぶりならわからなくて当然ですよね」と優しく受け止めてくれる。本当にありがたいですね。

そんな若い彼女たちが、これから結婚や出産などライフステージを変えていく中で、私が少しでも支えになれたらと思っています。かつて子どもの急な発熱で職場に迷惑をかけたこともあったので、今度は私が子育て世代のピンチヒッターとして少しでも支えになれるように。いろいろな世代が混ざり合い、互いに助け合いながら働ける、そんな温かい環境です。

そして、自分自身も、いくつになっても学びを続けたいです。新しいことを知るのは楽しいし、知的好奇心を満たしてくれる場所がここにあります。

看護師の再就職も歓迎!

近江草津徳洲会病院では、ライフステージの変化やブランクのある方も、安心して復職できる環境を整えています。働く環境や仲間の温かさを感じながら、あなたの経験をもう一度ここで活かしてみませんか?

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