アルムナイインタビュー
キャリアも、家族も大事にしたい」
ICUから緩和ケアへ、キャリアをつなぐ私らしい選択

「キャリアも、家族も大事にしたい」─ICUから緩和ケアへ、キャリアをつなぐ私らしい選択


羽生総合病院 緩和ケア病棟看護師 福田 様へのインタビュー

地元・青森の看護学校を卒業後、埼玉県内の高度急性期病院に入職。出産・子育てを機に、羽生総合病院に転職。自身のキャリア形成のため一度は退職し、他病院のICUでの勤務を経て、再就職。現在は緩和ケア病棟に勤務。

ICUでの経験を積み、育児と両立するために羽生総合病院へ転職。そして、再びキャリアへの挑戦を胸に新たな職場に飛び込みながらも、心のどこかで揺れ続けていた「看護師として、母としての自分」。そんな中、かつての先輩の「また戻っておいで」という言葉に背中を押され、再び羽生総合病院へ。
自分が思い描いた通りじゃなくても、歩んできた道に意味がある”──そう語る福田さんが見つけた、等身大の働き方とは。

「なりたくない」と思っていたはずの看護師に母の背中に導かれて

実は母も看護師なんです。母子家庭で育ったので、忙しい母の姿を子どもながらに見ていて、「看護師にはなりたくないな」と思っていた時期もありました。学校行事になかなか来てもらえなかったり、ちょっと寂しさも感じていたんだと思います。

一方で、母はあまり仕事の話をする人ではなかったのですが、小さい頃に病院に遊びに行かせてもらった時に働く母の姿を見て、「かっこいいな」と思ったのを覚えています。気が付けば私も、進路を考えるタイミングで、母が通っていた看護学校を受験することを決心していました。

“この診療科”じゃなくて、“もっと知りたい”が私の原点

新卒では埼玉県内にある700床を超える急性期病院に就職しました。入職して最初の1ヶ月ほど、複数の病棟をローテーションで回る研修がありました。どの部署も魅力的でしたが、「この診療科で働きたい」といった明確な気持ちは出てこなくて。私の心に残っていたのは国家試験の勉強中に感じた「解剖生理についてもっと学びたい」という気持ちでした。そして、幅広い疾患の患者さんを受け入れるICU(集中治療室)なら、そういった知識が身に付けられるのではと思い、ICU配属を希望しました。

責任が重く、緊張感のある現場でしたが、ICUでの経験は、看護師としての基盤を築いてくれた大切な時間だったと思います。

片道1時間半の通勤、子育てと仕事の狭間で見つめ直した働き方

新卒で入職した病院で働いている時に結婚、2人の子どもを出産しました。下の子が生まれる前に家を建てて、2人目の育休復帰後は片道1時間半かけて通勤し、時短勤務で働いていました。上の子が幼稚園に入園するタイミングになると、送り迎えや行事参加との両立が難しく、生活が常に時間に追われる状態になってしまい、仕事に集中できないもどかしさや、母としての役割を十分に果たせていないという葛藤がありました。

「このままでは自分も子どもたちも疲弊してしまう」と思い、働き方を変える決断をしました。「子育てに理解があり、託児所併設という条件で探していて、出会ったのが羽生総合病院でした。民間の保育園に預けるとなると、病児保育がなく、子どもが風邪をひいて体調を崩すと預かってもらえないことが多くて。特に小さい頃は頻繁に体調を崩すので、1週間に1回は仕事を休まなきゃいけないような状況でした。

ICUから離れる寂しさはありましたが、今は子どもとの時間を大事にするべきだと、自分に言い聞かせての転職でした。

支えてくれた仲間の言葉と、病棟ならではのやりがい

羽生総合病院での配属は、整形外科病棟でした。ICU経験があるからといって、すぐに通用する世界ではありませんでした。ICUでは1人の看護師が少数の重症患者に張り付き、常にその場で起こる変化に対応するスタイル。一方、病棟は広い視野を持って、複数の患者さんを同時に把握し、状況に応じて優先順位をつけて動く力が求められます。

最初は、できない自分に落ち込むこともありましたが、そんなとき救いになったのが同年代のスタッフたちの存在でした。「そんなに気にしなくて大丈夫だよ」「十分できてるよ」と声をかけてくれて、励ましてくれていました。そんな周りのサポートを受けながら少しずつ慣れていき、病棟ならではの看護の面白さにも気づき始めていきました。

脊髄損傷で下半身不随となった患者さまの担当だった際、熱心なリハビリスタッフと共に機能回復に向けてベッドサイドプログラムを考えたり、一緒にリハビリに同行させてもらって、つらさで挫折しそうになっている患者さまの心を励ましたり、チームワークで患者さまを看るという素晴らしい経験もでき、やりがいを感じていました。

 

キャリアを進めたい。でも、家族との時間も大切にしたい。葛藤の中の決断

前職では、新卒からずっとICUにいたため、患者さんがICUを出てからどんなふうに回復していくのか、どのくらいの状態で退院していくのか、そういったことが全く分かっていませんでした。実際に病棟で働いてみて、ICUだけでは見えてこなかった回復のプロセスや、患者さん・ご家族との関わり方など、多くの気づきや学びがありました。

一方で、ライフスタイルの変化で離れざるを得なかったICUへの未練もまだ残っていました。患者さんがICUを退院した後、どのように回復していくのかを知った今だからこそ、ICUでの看護に活かせることがあるのではないか。アップデートの早いICUに戻るなら、早く戻らないと―そうした焦りの気持ちも湧いてきて、再びICUで学ぶために新しい環境へチャレンジすることを決めました。

自宅から近くにあった、地域の超急性期を担う総合病院のICUに転職しました。もともと興味があった心臓血管外科の症例にも多く触れ、とても学びの多い職場でした。尊敬できる先輩や仲間にも出会いました。ただ、キャリアを優先して突き進んだことで、業務量がどんどん増えていき、正直キャパオーバーになってしまいました。2年目には後輩の指導役も任されて、仕事はさらに忙しくなり、子どもとの時間がほとんど取れなくなってしまって。夫からも「本当に大丈夫なの?」と心配されるようになり、「このままでいいのか」と自問する日々が続きました。

出戻りの不安を越えて。信頼する先輩と再び歩み始めた看護の道

悩んでいた時にふと思い出したのが、羽生総合病院を退職する際にお世話になっていた先輩がかけてくれた「何かあったら、いつでも戻っておいで」という言葉でした。

その先輩は、私の「もう一度ICUで学びたい」という気持ちも理解してくれていたのと同時に、きっとその先で、子育てや家庭との両立で壁にぶつかるかもしれないということも察してくれていたのではないかと、今では思います。

先輩に相談してみたところ、「また戻っておいで」と言ってくださって。“出戻り”ということに戸惑いもありましたが、先輩のおかげで羽生総合病院に再就職しました。

退職前にいた整形外科病棟に戻ったあと、しばらくして先輩から「緩和ケアに興味ない?」と声をかけてもらいました。ICU時代から終末期医療や、亡くなる患者さんとそのご家族にどう向き合えばいいのかについて、もっと学ぶ必要があると感じていた部分がありました。緩和ケア病棟は院内でも希望者が多くて、なかなか異動できないと聞いていたので、私にとってチャレンジする価値があると思いました。

 「治す」じゃなくて「その人らしく生きる」を支える─緩和ケアで感じた看護のあり方

緩和ケア病棟で働いてみて、「今までの看護観では通用しない」と感じました。ICUでは、少しでも回復の可能性があれば全力で治療をして、命を救うことが第一。でも緩和ケアでは、「亡くなること」を前提にした関わりが中心になります。

「この方は、いつどんなふうに最期を迎えるんだろう」
そんなふうに考えながら、患者さんと向き合う日々です。ときには、「処置しなくて大丈夫なのかな」と戸惑うこともありました。でも、「これがその方の自然な流れなのかもしれない」と受け止める姿勢も大切なのだと、今では考えるようになりました。

緩和ケアでは、「こうすることが正解」といった答えはありません。私のそれまでの看護キャリアでは、医療者側が中心となって判断することが多かったけれど、緩和ケア病棟では患者さんやご家族の思いが一番大切です。私たち看護師はあくまで裏方。患者さんとご家族が「納得できる時間」を過ごせるように、そっと寄り添って支えていく存在でありたいと考えています。

「今日はご飯たくさん食べられたね」
「少し元気がないけど、体つらくないかな?お風呂入る?」
と様子を気にかけて、そうした小さな声かけや関わりの積み重ねが、患者さんやご家族の安心につながっていく。頼れる伴走者になれるように、日々学びを深めています。

「変わろうとしている病院」─戻ってきたからこそ感じた風通しのよさ

羽生総合病院は、20224月に、埼玉医療生活協同組合から医療法人徳洲会へ運営が変わっています。私が当院に戻ってきて感じことは、「病院全体が変わってきているな」ということでした。

医療機関はトップダウンなイメージを持たれがちですが、羽生総合病院は違うなと感じます。現場の声をちゃんと聞いてくれる、そんな雰囲気があります。

「こういう改善をしたい」「こんな取り組みをやってみたい」と提案すると、院長や看護部長・師長・主任といった役職者がちゃんと耳を傾けてくれます。実際に病院食堂の改装が進められたり、患者さんの搬送は部署を超えて協力するような体制が整ってきたり。職員の働きやすさを実現するアイデアや、“患者さんのために自分たちに何ができるか”といったアイデアを形にしやすい風土があると感じています。

やる気がある人にとって、とてもやりがいのある環境になってきていると思います。再び戻ってきた今だからこそ、その変化を強く感じています。

「出戻りだって、新しい成長のチャンス」私らしい働き方を見つけた今だから伝えたいこと

看護師としてのキャリアを歩む中で、思い描いていた道と、実際に選んだ道が違っていたとしても、それは決して間違いじゃないと思っています。

かつての私は、「転職はキャリアアップのためにするもの」と考えていました。なので“出戻り”という選択をネガティブに捉えていた時期もありました。でも実際に出戻りという選択をしてみて気づいたことは、そこに新しい学びや気付きがたくさんあるということです。

ライフスタイルが変わったからこそ、自分に必要な環境も変わる。自らが望んでいた環境とは違ったとしても、与えられた環境に飛び込んでみたら、「自分はここで成長できる!」と思えることにたくさん出会うことができます。もしも、今悩んでいる人がいたら、「私みたいな選択肢もあるよ」と伝えたいです。

羽生総合病院は、子育てとの両立にもとても理解がある職場です。夜勤のときなど、子どもを預ける体制が難しい場合でも、きちんと相談できる雰囲気があり、それぞれの事情に合わせて調整してもらえる環境が整っています。私自身も、無理なく働き続けられていますし、周りにも同じように子育てをしながら頑張っている仲間がたくさんいます。

看護師としてのキャリアも、母としての毎日も、どちらも大切にできる場所。そんな働き方ができるのが、今の羽生総合病院です。

 

看護師募集中!再就職も歓迎◎

羽生総合病院では、子育て中の方やブランクのある方の再就職も歓迎しています。

「今の自分に合った働き方を見つけたい」「もう一度、看護師として輝きたい」そんな思いをお持ちの方は、ぜひ一度ご相談ください。あなたらしい看護のキャリアを、一緒に見つけましょう。