「また戻っておいでよ」─家族との時間を経て再び選んだ、宇和島徳洲会病院の変化と働きがい
宇和島徳洲会病院 看護副主任 松浦 様へのインタビュー
「子ども大きくなったね。また戻っておいでよ」。
かつて一緒に働いた仲間からの言葉に背中を押され、子育てに向き合う時間を経た松浦さんは宇和島徳洲会病院へ再び戻ることを決めました。
復職後に感じたのは、育児への理解が深まり、誰もが支え合える職場の変化でした。
人とのつながり、助け合いの文化、そして学び続けられる環境。松浦さんが見つけた「働きやすさ」と「看護師としてのやりがい」に迫ります。
結婚・引っ越し─そして出会った“新しい病院”
正看護師の資格は2000年に取得しました。愛媛県松山市の個人病院で働きながら、医師会の専門学校に通って。まずは3年で准看護師を取り、その後さらに2年通って正看護師を取得しました。そこでは約4年間勤務しました。
その病院には、脳外科や循環器の診療科があり、救急車の受け入れもありました。ただ、手術は行っていませんでしたし、病床数も少なかったので、本格的な急性期医療という点では限られた環境でした。看護師としてのキャリアを考えたときに、「もっと急性期医療を学びたい」という気持ちがありました。
結婚を機に病院を退職し、夫の地元である宇和島に引っ越したタイミングで、ちょうど宇和島徳洲会病院が開院することを知りました。
急性期に関われること、そして何より、託児所があるということが、私にとってはとても大きな決め手になりました。すでに第一子を出産していたので、「子どもを預けながら働ける環境がある」というのは、働く母親として本当にありがたかったです。
ゼロから始まる現場─立ち上げスタッフとしての濃い経験
入職当時は、まだ病院が立ち上げの準備段階で、オープニングスタッフとして働き始めました。病棟のベッドの配置や物品の準備など、何もかもがゼロからのスタートで、「これはどこに置こうか?」「どんな流れにしようか?」と、日々スタッフ同士で相談しながら手探りで進めていきました。
最初からみんなで一緒に作り上げていく雰囲気があって、すごく楽しかったです。全員が同じスタートラインだったからこそ、「自分だけが遅れている」と感じることもなく、お互いに助け合いながら前に進めるという安心感がありました。
私は泌尿器科病棟に配属され、術前・術後の看護など、それまで経験したことのない分野に初めて携わることになりました。日々新しいことの連続で不安もありましたが、「分からないことはすぐに聞ける」「誰かが助けてくれる」という空気が自然にあって、学ぶ姿勢を持ち続けられる環境でした。
同年代のスタッフも多く、育児との両立をしながら働いている方もたくさんいました。だからこそ、共感できることも多く、自然とチームワークが生まれていったように思います。
子どもを優先したい─悩んだ末の“退職”という選択
2人目の子どもを出産した後も、家族の協力や託児所を利用しながら、何とか勤務を続けていました。ただ、当時は子どもが体調を崩しても「すぐに帰ります」とはなかなか言いづらい雰囲気がありました。今のように、子どもの急な体調不良で早退することが“当たり前”という時代ではありませんでした。
病院もオープンしてまだ数年というタイミングで、地域的にも人手がギリギリな状態でした。だから、急に休むと「じゃあ誰がその部屋を見るの?」という状況になってしまって。責任感もあって、「すみません、休ませてください」とはなかなか言えませんでした。夫の両親に頼ることも多くて、「これ以上迷惑をかけたくない」という思いも強くなっていきました。
それでも仕事を続けていたのですが、気がつけば、子どもの習い事や学校行事に参加できない日が続いていて。このままだと、あとで必ず後悔すると思ったんです。
「母親として、今この時間を大切にしよう」と思い、一度、家庭・子どもとの時間を優先することを決め、退職という選択をしました。
子どもとの時間を経て、「もう一度、急性期で働きたい」
退職後は、近所の小さな有床クリニックで、月曜から土曜日の午前中だけパート勤務をしていました。夜勤もなく、子どもが熱を出したときにはすぐに休ませてもらえるような柔軟な職場で、とても働きやすかったです。
おかげで、子どもとの時間もたくさん取ることができました。学校行事にも参加できましたし、家族で一緒に行きたかった場所にも行けるようになって。あの時期に、子どもとしっかり向き合える時間を持てたことは、今でも「本当によかった」と思っています。後悔はまったくありません。
ただ、子どもが少しずつ手を離れてきた頃、ちょうど進学のタイミングも近づいてきて、学費のことなど現実的な面も考えるようになってきました。
「そろそろしっかり働きたい」「もう一度、フルで仕事がしたい」と思うようになったんです。
クリニックでの仕事も、もちろんやりがいはありました。ただ、患者さんの状態が比較的安定している方が多くて、どうしても看護師としての物足りなさを感じてしまうところがありました。
「このまま軽症の患者さんだけを診ていくと、急性期の知識やスキルが落ちていってしまうのでは」という不安もあって。
私は当時、30代後半でした。この先を考えたとき、「もう一度急性期で働きたい」「戻るなら今しかない」と、思い切って転職を考えるようになりました。
「また戻っておいでよ」─再入職で感じた病院の進化
再就職を考え始めた頃、不思議と宇和島徳洲会病院で一緒に働いていた看護師さんたちと、街やスーパーでばったり会うことが何度も続いたんです。
「子ども大きくなったね。また戻っておいでよ」と声をかけてもらえて……。その言葉が本当に嬉しくて、「またここで働きたい」と思う大きなきっかけになりました。
急性期に戻るなら、やっぱり知っている人が多い宇和島徳洲会病院がいい。そんな安心感がありました。でも、知り合い経由で話を進めると、かえって相手に気を遣わせてしまうかなとも思って、ハローワークを通じて正式に応募することにしました。
面接では、こちらの希望を丁寧に聞いてくださり、「まずは日勤のみで、16時までの勤務から始めたい」という希望も快く受け入れていただきました。
何より驚いたのは、職場全体の空気が大きく変わっていたことです。以前は、子どもが体調を崩しても休みづらい雰囲気がありましたが、再入職したときには、出産・育児に対する理解が本当に深まっていて。
たとえば、保育園から「熱が出ました」と連絡が来たときに、まわりのスタッフが「行ってあげて」と自然に背中を押してくれる。そんな協力し合える雰囲気が、病棟全体に根づいていたんです。
実際に戻ってみて、「本当に変わったんだ」と実感しましたし、またここで働けることが心から嬉しかったですね。
「どうすればできるか」をみんなで考える、助け合いの職場
現在は副主任として、師長や主任のサポートをはじめ、病棟全体の業務改善や新人さんの教育にも関わっています。また、徳洲会グループから応援で来てくださる看護師さんもいらっしゃるので、そういった方々が安心して働けるようにフォローも担当しています。
再入職してから感じたのは、新しく入職した職員へのサポート体制がとても手厚くなっていることでした。プリセプター制度やクリニカルラダーなど、段階に応じた教育の仕組みがしっかり整備されていて、未経験やブランクのある方でも安心してスタートできる体制が整っています。
そして何より、宇和島徳洲会病院は本当に人間関係が良く、助け合いがある職場です。病棟が忙しいときには、他部署のスタッフが「何か手伝おうか?」と自然に声をかけてくれたり、上司が様子を見に来てくれたりと、まわりが気にかけてくれる空気があります。
人手が十分とは言えない中でも、スタッフみんなが「どうすれば安全に業務をまわせるか」「お互いをどう支えるか」を常に考えて動いています。できないことを嘆くのではなく、「じゃあ、どうすればできるか」を前向きに考える文化がある。それが、この病院の一番の強みだと思っています。
私自身も、子育てやブランクを経験してきたからこそ、これから入ってくる方たちが安心して働けるよう、少しでも力になれたらという思いで日々関わっています。
宇和島という地域で、看護師としてできること
宇和島徳洲会病院では、三次救急病院からの転院、在宅に戻るにはもう少し時間が必要な患者さん、そして看取りの方まで、本当にさまざまな方が入院されます。
そういった患者さんやご家族に、看護師として寄り添えること。退院後の生活まで視野に入れて支援できること。それがこの病院で働く上での一番の魅力だと感じています。
私は宇和島出身ではありませんが、この地域の方々の暮らしを、看護の立場から支えたいという気持ちで働いています。
徳洲会グループには、研修や応援勤務など、幅広い経験ができる環境も整っています。ここで経験を積んだあとに、訪問看護や在宅医療など、違うフィールドに挑戦することも可能です。
「ここでずっと働きたい」という人にも、「将来の選択肢を広げたい」という人にも、宇和島徳洲会病院は大きな可能性を持った職場だと思います。
宇和島徳洲会病院では、過去に退職されたスタッフの再就職も歓迎しています!
ブランクのある方、子育てや介護と両立しながら働きたい方も、安心してご相談ください。
一緒に地域の医療を支える仲間を、お待ちしています。