私らしい働き方が全国にある──徳洲会グループで見つけた看護師としての再スタート
日高徳洲会病院 病棟 看護師長 緑川 様へのインタビュー
看護学校を卒業後、新卒で札幌徳洲会病院へ就職。その後、結婚を機に苫小牧へ転居し、退職。妊娠・出産を経て、新ひだか町に転居し、現在の日高徳洲会病院(当時は静仁会静内病院)へ入職。透析室での勤務を経て、2025年4月から障害者病棟の看護師長に就任。
新卒で憧れの病棟に配属され、看護師としての一歩を踏み出した緑川さん。
けれど、結婚・妊娠・引っ越しと、ライフステージの変化は突然訪れます。
キャリアと家庭の間で揺れながらも、「また看護師として働きたい」という想いをあたため続けてきました。
そんな彼女が転勤先で訪れた町の病院が、“もう一度看護師として歩み出すための場所”でした。
憧れの病棟で始まった、新卒看護師としての第一歩
2010年に新卒で札幌徳洲会病院に入職し、急性期病棟で働き始めました。配属されたのは整形外科・腎臓内科・呼吸器・眼科などの混合病棟でした。
実はその病棟は、学生時代に実習でお世話になった場所でした。病棟の看護師さんたちがとても明るくて、私たち学生にも「ようこそ」とメッセージボードを用意してくださったことが、今でもすごく印象に残っています。指導もとても丁寧で、親身に接してくださって。「いつかこの病棟で働けたら」と思ったのを覚えています。
また、患者さんは手術後の方が多く、状態が良くなって退院して行かれる方の看護が中心でした。元気になって帰っていく患者さんを看られることも、就職を希望した理由の一つでした。
理想の職場だったからこそ悩んだ、退職という決断
入職から1年4ヶ月ほど経った頃、結婚を機に夫の住む苫小牧へ引っ越すことになりました。引越し後も3ヶ月ほどは電車と地下鉄を乗り継いで片道1時間ちょっとかけて通勤していたのですが、ちょうどその頃に妊娠が分かりました。
体調を考えると、そのまま通い続けるのはかなり厳しくなってきていました。ラッシュ時の満員電車もつらくて、仕事と家庭の両立を考えると、「このまま続けるのは難しいかもしれない」と感じるようになりました。
本来であれば、産休・育休を取得して復帰することも考えられたのですが、戻れる保証がない中で制度だけを利用するのも違う気がして。いろいろ悩みましたが、最終的には産休前のタイミングで退職することを決めました。
「ここで働きたい!」と思って、配属までしてもらった病棟で、もっと経験を積みたかったという思いはありました。でも、自分が置かれた状況や子ども・家庭のことを考えると、「今は苫小牧での生活に専念しよう」と現実を受け止め、退職という選択をしました。
転勤先の町で出会った病院が、「ここで働きたい」と思う場所に
出産後はしばらく仕事をお休みして、まずは育児を優先していました。そんな中、今度は夫の転勤が決まり、北海道新ひだか町へ引っ越すことに。子どもが4ヶ月の頃だったと思います。
ちょうど予防接種が始まる時期で、地元の病院に通うようになったのですが、それが今の職場である「日高徳洲会病院(当時は静仁会静内病院)」でした。
最初に病院を訪れたとき、建物は決して新しくはないけれど、吹き抜けの玄関から光が差し込んでいて、とても明るい印象を受けました。受付の方も、何度か通ううちに顔を覚えてくれて、「また来たんだね」と声をかけてくださったりして。看護師さんたちも、患者さんにとても丁寧に接していて。その姿を見て、「ここで働けたらいいな」と、自然と思うようになっていました。
実は最初は、ここが徳洲会系列の病院だとは気付いていませんでした。でも、病院名の看板に徳洲会のマークが入っているのを見て、「あ、徳洲会なんだ!」と驚きました。そして、どこか運命的なご縁を感じました。
受付の方に「この病院は、働きやすいですか?」と聞いてみたり、自分の中では「ここで働きたい」という気持ちが少しずつ強くなっていました。当時は子どもがまだ小さかったので、まずは非常勤での勤務を希望していました。ハローワークをチェックしてみたところ、ちょうど非常勤の募集が出ていて、すぐに応募しました。
非常勤から常勤へ。子育てしながら働ける環境
面接では、札幌徳洲会病院で腎臓内科の病棟にいた経験があることをお伝えしたところ、「それなら透析室が合っているかもしれない」と提案していただきました。
透析室で非常勤として4年間勤務した後、常勤に切り替わりました。病院には、24時間対応の院内保育所があります。同じ敷地内にあって送迎もラクでしたし、保育士さんたちも本当に優しくて。少しお迎えが遅れても、「お母さん、お仕事終わるまで大丈夫ですよ」って声をかけてくださるような、温かい場所でした。給食もあって、学童保育や病児保育にも対応していて。子どもが熱を出したときも柔軟に対応してもらえて、働く親にとっては本当にありがたかったです。
まわりにも子育て中のスタッフが多くて、「お互い様だよね」と自然に助け合える雰囲気があり、とても心強かったです。
仲間は全国にいる。徳洲会グループで広がる安心と学び
透析室で働き始め、「実は札幌徳洲会病院にいたんです」と話したところ、「あの病棟にいたんだ!」「あの先生知ってる?」と会話が自然と広がり、共通の話題で盛り上がりました。全国に病院がある徳洲会ならではの“横のつながり”を感じた瞬間でした。他にも、看護協会の研修で徳洲会グループの別病院に勤務している看護師さんと一緒だったり、合同説明会で顔を合わせることもあったり。
新ひだか町は人口2万人ちょっとの小さな町なので、全国の徳洲会グループ病院から看護師さんが応援に来てくださります。札幌徳洲会病院の看護師さんと再会することもありました。そうした機会に、他病院での工夫や知恵を共有してもらえる機会があるのも、徳洲会グループ病院ならではの良さだと思います。「札幌徳洲会病院でやっているならうちでもやってみよう」と、自分の職場でも前向きに改善を考えるきっかけになります。自分たちだけの物差しではなく、グループ全体の視点で学べることはとても良いことだと感じています。
「この地域を支える病院に」──名前に込められた思いと誇り
2018年9月に、病院の名前が「日高徳洲会病院」に変わりました。当時、院長先生が「この日高地域の医療を支える病院だ」という強い思いが込められていると話されていたのが印象的でした。
ここは199床の中小規模の病院ですが、一般病棟・障害者病棟・療養病棟と急性期から慢性期まで幅広い看護が提供できる病院です。また、職員同士の距離がとても近く、他部署の方でも顔と名前が分かる関係性があります。「ちょっと手を貸して」と言える雰囲気があるので、チームで支え合って働けているという実感があります。当院の強みだと感じます。
15年ぶりの病棟勤務。師長としての挑戦
2025年3月に、透析室から病棟へ異動になりました。障害者病棟に配属され、師長という大役を任されることになりました。実に15年ぶりの病棟勤務。久しぶりすぎて、「私で大丈夫かな……」という不安はありますが、「一から学び直すつもりで頑張ろう」と気持ちを切り替えて、一日でも早く病棟に慣れ、所属長としてリーダーシップを取っていけるように頑張りたいと思っています。
結婚・出産・転勤…ライフステージが変わっても看護を続けられる場所
私のように、結婚や転勤、出産などで一度キャリアを中断する方はたくさんいらっしゃると思います。でも、また働きたいという気持ちがあるなら、ぜひ一歩を踏み出してみてほしいと思います。
徳洲会には、「生命だけは平等だ」の理念の下、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」を目指して、全国どこの徳洲会病院でも安心して働ける環境があります。私自身も、「徳洲会病院に戻ってきてよかった」と心からそう思っています。
迷っている方がいたら、きっとあなたにも「自分らしく働ける場所」があると思います。
徳洲会グループは、看護師の再就職を応援します!
徳洲会では、過去に徳洲会病院に勤務されていた職員(アルムナイ)・卒業生の再就職を歓迎いたします。一度は徳洲会を退職したけれど、もう一度学び直したい・キャリアを磨きたい。子育てが落ち着いたので復帰したい。実際に再就職して活躍している看護師がたくさんいます。少しでも興味がある方は、病院見学からでもお気軽にお問い合わせください!