辞めたからこそ気付けた看護師という仕事の価値−−山形徳洲会病院での再スタート
山形徳洲会病院 師長 栗原様へのインタビュー
看護学校を卒業後、新卒で新庄徳洲会病院に就職。5年後、山形徳洲会病院の開院に伴い異動。一度退職し、カナダで1年間のワーキングホリデーを経て、山形徳洲会病院に再就職。TMATとして災害医療救援活動にも従事。現在は療養病棟の看護師長を務める。
一度看護師の道を離れ、海外へ。ワーキングホリデーでの経験や現地で出会った看護師から気付き・学びを得て、再び現場に戻ってきた栗原さん。
復職のきっかけになったのは、かつての職場の仲間からの一言と、新たな目標でした。
「辞めたら終わり」ではなく、「自分の道を探す時間だった」と語る彼女の経験は、いま転職や再就職を考えている看護師さんにとって、大きなヒントになるはずです。
山形徳洲会病院で“自分らしい看護”を実現するまでのリアルなストーリーをお届けします。
看護師を目指したきっかけ
高校2年生の頃、将来の進路を考え始めたとき、母からさまざまな職業の話を聞きました。その中に「保健師」という仕事があり、当時はどんな職業かまったく知りませんでした。調べていくうちに、保健師になるにはまず看護学校に進学し、看護師の資格を取得する必要があることを知りました。最初は「保健師になるために看護学校へ」というスタートでしたが、実習などを通して看護師の仕事の魅力にも触れ、「看護師という道もいいかもしれない」と思うようになりました。
新庄徳洲会病院から山形徳洲会病院へ
新庄徳洲会病院(山形県新庄市)が新病院として開院し、初年度の新卒で入職しました。消化器外科、脳外科、整形外科など外科系で勤務をし、多忙ながらもスタッフ同士切磋琢磨しながら働くことができ、様々な症例を通して基本的な知識や経験を積むことができました。5年後、山形市に新病院が開院するタイミングで異動を希望。急性期病棟を希望していましたが、実際は療養病棟に配属されました。当時はまだ20代。それまでの知識や経験の応用になることを実感しつつも、「まだまだ、急性期で学ぶべきことがあるのでは?」「もっと知識・スキルを深めたい」という思いが強く、正直、少しジレンマも感じていました。
スマトラ島沖大地震が、キャリアを考える大きな転機に
そんな頃に起こったのが、スマトラ島沖大地震でした。ニュースで津波などの被害を目の当たりにして、「自分にも何かできないか」と強く思いました。徳洲会グループからも災害医療救援隊・TMATの派遣があったのですが、当時の私は災害医療についての知識もなく、研修も受けていなかったため、行きたい気持ちはあっても自信が持てませんでした。「即戦力にならなきゃいけない被災地で、自分は何もできないんじゃないか」と葛藤し、悩んでいるうちに募集は締め切られました。やりたいことを口に出せなかったことへの後悔。そして、次に機会があった時にはチャレンジできる自分でありたいという思いが強くなりました。
「外の世界を見てみたい」──ワーホリへの決断
急性期への異動も叶わず、将来にモヤモヤを抱えていた私は、学生時代から興味があった海外での医療支援やボランティアについて勉強しようと決心をしました。転職も考えましたが、それ以上に「一度、外の世界を見てみたい」という気持ちが大きくなっていたんです。退職後はワーキングホリデーでカナダ・バンクーバーに渡り、ボランティアを複数経験したり、語学学校で医療英語コースを学びました。現地では多くの看護師仲間と出会いました。私と似たような背景で仕事を辞めてきた看護師たちと「これからどう生きていくか」「どんな看護師でありたいか」を語り合う日々は、私にとって大きな財産になりました。
カナディアンロッキーでスノーボード
一度辞めたからこそ得られた「看護師という資格の強み」
カナダで出会った仲間たちの多くが、いろんな診療科を経験していたり、海外で看護師資格を取り直して働いていたりしていました。話を聞く中で、「自分はどんな看護師になりたいのか」を自然と見つめ直すようになりました。看護師という資格があるからこそ、再挑戦もできるし、やりたいことにチャレンジできる。それは大きな安心感でもあり、自信にもつながりました。
新しい目標。先輩や仲間の言葉で、再び徳洲会病院へ
ワーホリ中も、山形徳洲会病院で一緒に働いていた先輩と連絡を取り合っていました。先輩がカナダまで遊びに来てくれることもあり、帰国後のことを相談する中で「戻りたいなら私が話してみるよ」と声をかけてくれました。TMATへの興味は消えなく持ち続けていたこと。また、当時の院長先生や事務長、支えてくださっていた先輩方が退職時に「いつでも戻っておいで」と言ってくださっていたことにも背中を押され、私は再び山形徳洲会病院に戻ることを決めました。再就職後は、私の希望通り急性期病棟に配属してもらうことができ、本当にありがたかったです。
看護の現場に戻って気づいた“仲間との絆”
再就職後に配属された病棟には、新病院がスタートした当時忙しい中でも、みんなで助け合って乗り越えてきた同年代のスタッフが多くいました。「あの頃が一番大変だったけど、一番楽しかったよね」なんて話を今でもすることがあります。
そのときの仲間の何人かが、今一緒に師長や主任として働いています。部署は違えどお互い相談し合える仲間がいる職場は、とても働きやすい環境です。
徳洲会の魅力は「自己実現を応援する環境」
山形徳洲会病院では、二交代・三交代の働き方が選べたり、自分の興味がある診療科を希望できたりする環境があります。私自身も、急性期に戻りたいという希望を叶えてもらいました。
また、TMATに参加するための研修にも行かせていただき、2015年に発生したネパール地震や2024年の能登半島地震の際にはTMATとして災害医療の現場にも行かせてもらいました。ワーホリで学んだ英語が少し話せるだけでも役に立ちましたし、現場での経験や研修で得た知識が現地での活動を支えてくれました。「こんなことをやってみたい」という想いがある人には、挑戦できるフィールドが広がっていると思います。
ネパール地震の被災地でTMATの一員として活動
「一度離れても、また戻れる」──それが看護の世界の良さ
私の場合は、一度看護の現場を離れ、違う世界を見て、自分の強みや課題を見つめ直せたことで、「私は看護師としてどう生きていきたいのか」ということに向き合えたと思います。
退職やブランクがあることに、不安を感じている方もいるかもしれません。でも、一度辞めたからといって、看護師としてのキャリアが終わるわけではありません。
むしろ、辞めたことで見える景色や得られる経験があると思います。やってみたいことに挑戦すれば、また戻れる場所がある。私にとって、それが山形徳洲会病院でした。
徳洲会は、看護師の再就職も歓迎です!
徳洲会では、過去に徳洲会病院に勤務されていた職員(アルムナイ)・卒業生の再就職を歓迎いたします。一度は徳洲会を退職したけれど、もう一度学び直したい・キャリアを磨きたい。子育てが落ち着いたので復帰したい。実際に再就職して活躍している看護師がたくさんいます。少しでも興味がある方は、病院見学からでもお気軽にお問い合わせください!