アルムナイインタビュー
一度離れて気づいた、看護師としての“居場所”
徳洲会で見つけた、私らしい働き方

一度離れて気づいた、看護師としての“居場所”。徳洲会で見つけた、私らしい働き方
新庄徳洲会病院 看護師 篠田様へのインタビュー

看護学校を卒業後、新庄徳洲会病院へ新卒で就職。約13年間勤務した後、知人に誘われ山形県内の公的病院に転職。そこで2年ほど勤務し、2016年に再び新庄徳洲会病院へ入職。現在、子育てをしながら時短で勤務。

「看護師として、このままでいいのかな──。」
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年間働いた病院を一度離れ、外の世界を知ったからこそ気づけた本当に大切なこと
今回お話を伺ったのは、新庄徳洲会病院に勤める篠田さん。
「やっぱり、ここが自分の居場所だった」
そう感じた理由や、いま子育てと両立しながら働くリアルな日々について、率直に語ってくださいました。同じように、これからの働き方を考えている方にとって、きっとヒントになるお話です。

看護師を目指したきっかけ

看護師を目指したきっかけは、小学校6年生のときに見たテレビドラマでした。訪問看護師さんが自転車でお宅をまわって、患者さんの手や足を洗ってあげる場面があって、それを見て「優しいなあ、こんな仕事があるんだ」と思ったのを今でも覚えています。

医療職の家族がいるわけでもなかったので、本当にそのドラマがきっかけでした。ちょうど地元の高校に看護学科があったので、「これだ」と思って進学しました。

新庄徳洲会病院を選んだ理由

高校を卒業してから3年制の専門学校に進んで、看護師の資格を取りました。そして新卒で新庄徳洲会病院に就職しました。実は、就職する前に見学に行ったわけでもなく、実習も別の県立病院で行っていたので、徳洲会病院のことはほとんど知りませんでした。当時、新庄市内に入院施設のある病院は多くなく、また県立病院は実習の時に結構怒られた記憶があって(笑)。一方で、新庄徳洲会病院は新しく開院して間もない病院だったので、なんとなく「徳洲会病院にしようかな」と思ったのがきっかけでした。今思えば、その直感が良い方に当たったと思っています。

命と向き合う現場で、看護師としての土台ができた

最初に配属されたのは、婦人科、産婦人科、整形外科、内科の混合病棟でした。右の部屋で赤ちゃんが生まれて、左の部屋ではお看取りがある、そんな日もありました。命の始まりと終わりが交差する病棟で、新人だった私は、目の前のことをひたすらこなすだけで精一杯でした。

でも、最初の8年間をそこで働いて、看護師としてのベースはこの病棟で築かれたと思っています。その後は、障害者病棟や内科病棟など、いろいろな病棟を経験させてもらいました。

 

初めての転職を決意した理由

13年間新庄徳洲会病院で働いてきて、「ある程度やれることはやったかな」と思うようになっていました。そのタイミングで、かつて私が指導していた後輩から「地元の町立病院で人手が足りないから来てほしい」と声をかけてもらったんです。

その頃私は30代前半で、「そろそろ新しい場所で挑戦してもいいかな」という思いもありました。準公務員的な待遇で働ける病院ということもあり、「安定したところで働けるなら」と思って、転職を決意しました。

 

転職して見えた“働きやすさ”の本当の意味

新しい環境は最初はとても新鮮でした。覚えることも多くて大変ではありましたが、新しい環境で働くことが楽しく感じられました。でも働いていくうちに、ちょっとずつ違和感が出てきました。
その病院は歴史のあるところだったので、職員の年齢層が高く、昔からのやり方が根強く残っていました。時代に合わせて、医療や看護の方法も変わっていましたが、私が「こういう風に変えてみませんか?」と提案しても、「いや、ずっとこれでやってるから」と返されることが多かったんです。

「もっと患者さんにとっていい方法があるのに」と思っても、なかなか変えられない。その葛藤が積もって、最初は「最低でも3年は頑張ろう」と思っていたのに、2年で限界を感じてしまいました。

仲間の言葉が後押しに、再び新庄徳洲会病院へ

ちょうどその頃、新庄徳洲会病院で一緒に働いていた同僚と会って話す機会があって、「今こんな感じなんだよね」と悩みを話したんです。そしたらその子が「だったら、また戻ってくれば?」と言ってくれて。

その言葉に背中を押されて、私は院長先生に連絡をさせていただきました。13年間務めている間、院長先生にはいろいろと相談に乗ってもらっていて、とても信頼している方でした。ただ、辞めるときには何も相談できなかったので、「今さら」という気持ちもありました。でも先生は「待ってるから早く戻って来なさい」って言ってくださって。本当に嬉しかったです。

1ヶ月ほどお休みをいただいてから、再び新庄徳洲会病院に戻らせていただきました。

 

子育てと、看護の現場の両立

新庄徳洲会病院に戻ってからしばらくして結婚し、今は2歳の子どもがいます。現在は9時から15時半までの時短勤務で、夜勤は免除してもらっています。

病院の敷地内に保育園があるので、朝預けてすぐに病棟に向かえるし、何かあったときにはすぐに駆けつけることもできます。送り迎えの負担が少ないので、そこは本当にありがたいなと感じています。

限られた時間でも、“やれる看護”を全力で

「時短勤務」とはいっても、15時半で仕事が終わらない日もあります。そんなときは、周りのスタッフが「大丈夫だから、先に帰って」と声をかけてくれます。本当に助けられています。

いつ保育園から連絡が来るか分からないので、「午前中にできることは全部終わらせる」が、今の私のスタンスです。気持ちに余裕を持ちたいと思っても、実際はなかなか難しい。だから今は、がむしゃらにやるしかない、という感じです。

今度は私が、誰かの支えになれるように

最近は、子育ての先輩たちが話を聞いてくれたり、アドバイスをくれたりすることも増えて、「私もこんなふうに支えられる存在になりたいな」と思うようになりました。

保育園からの呼び出しで遅刻してしまった日も、「大丈夫だよ、子どものことはしょうがないよ」と言ってもらえて、すごく気持ちが楽になりました。今は本当に支えてもらってばかりなので、いつかその恩を返していきたいです。

「まずやってみよう」と言い合える職場

改めて思うのは、新庄徳洲会病院は「スタッフの声を聞いてくれる病院」だということです。看護部に限らず、他職種や事務の方も含めて病院全体として「これはダメ」と頭ごなしに否定するんじゃなくて、「やってみよう」「うまくいかなければ次の方法を考えよう」と言ってくれる風土があります。

戻ってきてからも、「やっぱりここが自分にとっての居場所だな」と思えました。外に出てみたからこそ気付けたこともたくさんあります。忙しいけれど、仲間と「今日もがんばったね」と言い合える日々は、やっぱりかけがえのない時間です。

 

徳洲会は、看護師の再就職も歓迎です!

 徳洲会では、過去に徳洲会病院に勤務されていた職員(アルムナイ)・卒業生の再就職を歓迎いたします。一度は徳洲会を退職したけれど、もう一度学び直したい・キャリアを磨きたい。子育てが落ち着いたので復帰したい。実際に再就職して活躍している看護師がたくさんいます。少しでも興味がある方は、病院見学からでもお気軽にお問い合わせください!